エベレストについての基礎知識
エベレストはネパールと中国との国境に位置しています。ネパールは東西に細長い国で、北側にチベット、南側にインドがあります。エベレストへはこのネパールの首都カトマンズからアクセスします。
ちなみに僕は2000年にアドベンチャーレースでこの近くにまで行きました。チベット高原をスタートして、南下してヒマラヤ山脈の峠を越え、ネパールを縦断してインドの国境近くまでの827キロを走るレースだったんですが、そのとき標高5,000メートルほどの峠からエベレストが見えました。やっぱり遠くから見ても存在感がありました。
チベットではチョモランマ、ネパールではサガルマータと呼ばれています。ではなぜエベレストという名前が付いたかというと、これはインドの測量局に赴任していたイギリス人、ジョージ・エベレストという局長の名前だそうです。
まだエベレストに名前がない時代、もちろん地元の人たちが呼んでいる名前はあったけれども、欧米諸国にとっては名前がわからなかった。
当時ネパールは鎖国をしていたそうで、調査をしても名前が出てこない。だったらもう名前を付けちゃえということで、ジョージ・エベレストさんの名前がついたそうです。
その後エベレストという名前が世界的に広まってしまったので変更もできず、今はサガルマータ、チョモランマ、エベレストと、呼び方が3つもある状態です。ちなみにジョージ・エベレストさんは、エベレストに登ったことはありません。
エベレストの高さは8848.68メートル。以前は8848メートルと言われていましたが、近年ネパールと中国が共同で測量しなおしたところ、68センチ高いことがわかりました。
続いて、8,000メートルを超える世界がどんな世界なのかをご紹介します。
まず酸素が薄い。気圧が低いから酸素が薄くなるんですけど、酸素濃度は地上の3分の1程度です。富士山山頂で地上の2分の1なのですが、高さも富士山の倍以上あるわけですから当然ですよね。
ちなみにこの高度には普通のヘリコプターやプロペラ機ではいけません。気圧が薄いからプロペラを回しても空気をつかめないのだそうです。さらに酸素が薄いので、燃料が燃えずに操縦不能になるそうです。
人間は宇宙へはロケットでいけるし、深海には潜水艦でいけます。でもエベレストには人力でしか行けない。そうと聞くと、ちょっとワクワクしませんか?
それから当然寒いです。標高が100メートル上がるごとに気温は平均0.6度下がると言われています。山頂の平均気温はマイナス36度で、最低気温はマイナス41度だそうです。
思ったより寒くないと思いませんか?シベリアなどではマイナス70度を記録したと聞きますので。
ただし、風が強い。高度10,000メートルあたりを吹いているジェット気流の影響を受けるそうです。過去最高は秒速70メートルを観測したそうです。
通常でも40〜50メートル毎秒の風が吹いているようですが、空気が薄いので地上ほどは圧力を感じないらしいです。
高度8,000メートル以上はデスゾーンといわれていまして、普通の人間は酸素がないと動けなくなってしまいます。ところが世界には超人がいて、これまでに無酸素で登った人もいます。
エベレストの世界初登頂は1953年5月29日。エドモンド・ヒラリーという人で、ニュージーランド人なのですが、イギリス隊として行きました。同時登頂したのがテンジン・ノルゲイというシェルパです。
ちなみに日本人の初登頂は1970年5月です。有名な植村直己さんと、松浦輝夫さんという方が第一号でした。
1970年は僕が生まれた年ですが、7月生まれなので、僕が生まれた時にはもうすでに日本人が登っていたということになります。
エベレストの登頂者は1953年から2019年までの統計で、世界で約10,000人だそうです。ただし、のべ人数ですから複数回登っている人もカウントされています。
その半分ぐらいがネパール人のシェルパです。一番過去登っているシェルパは20回以上も登っているそうです。すごいですね。
では日本人は1970年以降、何人登っているでしょうか?
だいたい250人くらいだそうです。今回僕と一緒に行くガイドの倉岡さんは9回登っています。そんな人もいるので、人数でいうと200人くらいでしょうか。
ちなみに生存率は何パーセントぐらいだと思いますか?答えは96.8%。意外と高いですよね。
家族を安心させるために「こんなに生存率高いんだよ」と伝えたら、妻からは「危険なことには変わりないでしょ!」と言われました。
家族のためにも、もちろん安全第一で臨みます。
“Because it’s there.”
今回はエベレストにまつわる有名なエピソードを紹介しようと思います。これは1924年の写真です。エベレストの世界初登頂は1953年でしたから、まだ登られていない時のエベレスト遠征隊、第三次イギリス隊の写真です。
後列左から2人目がジョージ・マロリーという人です。かなりいいところまで行って、登ったかもしれないと思われている人です。
残念ながら彼は下山中に死んでしまいました。だから、マロリーが登頂したか、していないか。これはミステリーなんです。後年になって当時彼が持って行ったカメラが見つかったとか、そんな話題もあって映画にもなりました。
有名なのが彼のこの言葉です。
“Because it’s there.”
「そこに山があるから」と日本では訳されてきました。あまりにも有名なフレーズ。その原文がこれです。
ジョージ・マロリーがこの前年の1923年にニューヨークタイムズから、インタビュー受けたときに口にした言葉だと伝えられています。
この言葉が生まれた経緯をご紹介します。
当時、列強各国は南極や北極といった地球の極地レース(初到達を競うこと)をやっていました。例えば南極は有名なスコット対アムンゼンの戦いで、イギリスはノルウェーのアムンゼンに敗れるわけです。
北極はアメリカが取りました。実は捏造だったと後で修正されるのですが、この時代まだアメリカだと思われていました。
そこで、イギリスとしては大英帝国の威信をかけて、3番目の極地である世界最高峰を何が何でも取りたいと思っていました。
1921年、イギリスは英国山岳会と王立地理学会がエベレスト委員会をつくり、第一次登山隊を結成して、まずは調査目的でエベレストに向かいます。そこにマロリーも参加していました。
マロリーは登山家であり、教師でもありました。そして、若手の冒険家として期待されて招聘されたわけです。
続いて1922年、マロリーは第二次登山隊にも参加しました。惜しいところまで行ったものの、事故が起きてシェルパ7人が亡くなりました。この事故が理由で、帰ってきたマロリーらは世間から非難を浴びました。
実は当時、8,000メートルを超える世界には人間はいけないだろう、という考え方が主流でした。北極南極とはやっぱり違うんです。当時は酸素ボンベのクオリティも低く、装備も脆弱でしたから。
そもそも人間はあんなところに行ってはいけないんだ、そんな論調もあった中で、不幸なことに多数の人が亡くなる事故が起きてしまった。世間から厳しい批判の声がある中で、マロリーはインタビューを受けたのです。
「(それでも)あなたはなぜエベレストに行くのですか?」その質問に対するマロリーの答えが、“Because it’s there.”だったのです。
こういう背景を聞くと彼の言葉は、「山が好きで、山がそこにあるから行くんだよ」といったような、気軽な意味ではなかったことがお分かりいただけると思います。
世界中から登頂は不可能ではないかと言われていた。マロリーの肩には英国の威信もかかっていたし、個人的な名誉欲だってあったかもしれない。言葉にできない思いもたくさんあったに違いない。
また、遠征費用を出している王立地理学会からは、鉱物や植物を持ち帰るといった学術的なミッションも依頼されていました。
そういった数々の目的、役割、使命、期待を抱えた上で、それでもやっぱり自分は冒険家であり、目の前に未踏峰の世界最高峰がある、ここにチャレンジしない選択はないんだ。
“Because it’s there.”という彼の言葉は、きっとそういうニュアンスだったのではないかと僕は思うのです。